『歴史を振り返る』江戸時代におきた3大飢饉とは何なのか?

  • 2020.05.06
  • 2020.05.06
  • 歴史
『歴史を振り返る』江戸時代におきた3大飢饉とは何なのか?

 

 

たかやん

へえー。歴史を振り返ると、人間っていろんな苦難を乗り越えているんだね。

 

 

にゃんこ先生

そうだね。特に日本は歴史が長いからたくさんあったよ。

 

 

たかやん

この江戸の3大飢饉ってなに?

 

 

にゃんこ先生

江戸時代に起きた。ひどい、食料危機のことだよ。

 

 

人が生きていくためには食料と水が必要です。しかしあらゆる原因から、食糧難や水不足になることもしばしばあります。

 

時は江戸時代。この時代でも様々な天災が発生し、食糧難が起きました。

『江戸三大飢饉』とも呼ばれる、歴史の教科書にも載るほどの大きな食料危機も発生しています。

 

では、この江戸3大飢饉とは何なのか?原因と対策はどうしたのか?

 

今回はこの歴史を追ってみます。

 

得られること① 江戸3大飢饉について

② 食糧難の救世主について

 

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『歴史を振り返る』江戸時代におきた3大飢饉とは何なのか?

 

 

まず飢饉について軽くお話しましょう。

 

飢饉(ききん)とは?
農作物が十分に実らず、食物が不足し人々が飢えに苦しむこと

 

天候被害や自然災害が主な原因で食物が育たなくなり、食べるものがなくなって飢えに苦しむことを飢饉と言います。

江戸時代は265年の長い歴史を誇る時代ですが、その中で大小合わせて100を超える飢饉に見舞われます。その中でも特に被害が大きかったのが、『江戸の3大飢饉』と呼ばれるものです。

 

江戸の3大飢饉とは?① 享保の大飢饉
⇒ 1732年の夏に西日本を中心におきた飢饉。稲作に甚大な被害を及ぼす。

② 天明の大飢饉
⇒ 日本近代史で最大の飢饉。6年間も飢饉が続き、その被害は全国規模に。治安も悪化し犯罪も急増した。

③ 天保の大飢饉
⇒ 東北地方での被害が甚大に。米価急騰により一揆が多発。

 

① 享保の大飢饉

享保の大飢饉は主に2つの原因で起こります。

 

① 天候不順

② 害虫の大量発生

 

1731年末より天候不順が続き、年が明けてもその状態は続いていました。この天候不順は梅雨に入ってからは長雨を約2ヶ月もたらすことになり、日本は冷夏となりました。

それと同時に1732年夏はイナゴやウンカなどの害虫が大発生し、稲作に甚大な被害をもたらしていきます。

 

このダブルパンチにより、中国・四国・九州地方の西日本各地、中でもとりわけ瀬戸内海沿岸一帯が凶作となりました。

 

② 天明の大飢饉

天明の大飢饉はその被害が全国に広がるひどいものでした。大きな原因は3つあります。

 

① 天候不順

② 領主の判断ミス

③ 浅間山の大噴火

 

1782年から天候不順が続き、翌年の1783年になっても天候は回復しなかったのです。

夏でも冬の着物が必要なほど寒かったと記されているほどです。

 

また1783年には現在も活動が活発な浅間山の大噴火も重なり、火山灰が土地を覆ってしまったのです。その結果、日照不足や作物の不作につながっていきます。

 

これらの影響により東北地方の被害は甚大で、犬や猫の肉・餓死者の肉にまで手を出してもなお、飢えには勝つことができなかったといわれています。

 

加えて、領主の判断ミスや指示遅れが重なってしまいました。それにより対応が後手後手に回り、疫病が広まるほど事態は悪化していきました。

 

最終的に死者数は、全国で90万人をこえ江戸時代最悪の飢饉となりました。

 

③ 天保の大飢饉

1833年から1837年にまでに及ぶ大飢饉が天保の大飢饉です。主に関東・東北地方の影響が大きく、その死者数は天明の大飢饉にも匹敵したといわれています。

 

主な原因は、

 

① 天候不順

 

です。とくに冷害の被害は大きく、夏であっても稲作をするには冬用の着物をきて、さらに暖を時々とらないとやっていられないほどでした。

 

 

飢饉の救世主『サツマイモ』

 

 

享保の大飢饉は3大飢饉の中では、一番古く、まだあまり対策が講じられていないときに訪れた飢饉でした。

人々は飢えに苦しんだのですが、そんな中、被害が一番大きかった瀬戸内海であっても被害が少なかった『とある島』があったのです。

 

それが今の愛媛県大三島という島です。もともとこの島は、土地がやせており、稲作の栽培には向いていませんでした。

そこで、やせた土地に強いサツマイモを栽培していました。

 

それが効果てきめんで、ほかの地域では上に苦しむ中、サツマイモを食べることで大三島は飢えに耐えることができました。

 

サツマイモに目をつける幕府

このサツマイモの事実を知った、幕府は全国にサツマイモの栽培を促しました。

 

すると全国にサツマイモが広がっていき、天明の大飢饉や天保の大飢饉でも、飢えを免れた人も多くいました。

これは時代が経過した第一次世界大戦や第二次世界大戦でも同じことがいえました。

 

比較的どこでも栽培でき腹持ちがいいサツマイモは、戦時中や戦後の日本人の飢えをしのぐことに一役買ったのです。

 

 

 

現代もある飢饉

 

 

残念ながらこの飢饉というのは日本においてもまだまだあります。

特に東北地方は地形の関係で、影響を受けやすいのです。

 

 

① 緯度が高い

② やませ

 

緯度が高く日照時間が他地域より短いことや、夏にはやませと呼ばれる冷たい風がオホーツク海から流れ込み冷夏となることです。

その影響もあり、近年でも1993年には平成の大飢饉が起きています。

 

記録的な冷害によりあらゆる街から米が消え、輸入米を政府が緊急で用意したほどです。

平成にもなれば作物の品種改良や農業自体のノウハウも積み重なっていたため、昔ほどの飢饉は起きませんでしたが日本中が『平成の米騒動だ!』と騒ぎ倒したものです。

 

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まとめ

 

 

江戸の3大飢饉についてまとめましょう。

 

・『享保の大飢饉』『天明の大飢饉』『天保の大飢饉』が江戸の三大飢饉
・被害の原因は記録的な天候不順や自然災害が多い
・サツマイモはみんなの救世主

 

かつて江戸を襲った3つの大きな飢饉がありました。

しかしこの飢饉は、過去のものではなく現代でも形を変えて登場します。

 

2020年の場合はコロナウイルスです。

コロナウイルスの影響のより先進国であっても就職難、発展途上国では食糧難による紛争が起きています。

 

そして、対策を持たない人たちの中には倒れていっている人達もいます。

ないなら、今からつくるしかありません。

 

そしてこれはチャンスでもあります。今のうちに知識を高めたり情報を得たりしておけば、こういった事態が収束したときにスタートダッシュが切れます。

このように歴史から学べることはたくさんあります。

 

歴史から学び、自分にできることを考えて動いてみると、新しい道が見えるかもしれませんね!

ではでは今回はこのあたりであでゆ( ゚Д゚)/

 

 

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