うわぉ。大きな船だな・・・
めちゃ大きいね。これ、日本製の船だ!
ホントだ。日本の船って有名なの?
そうだね。かつて日本は造船王国と呼ばれていたよ。
かつて日本は世界においてトップシェアを誇る造船王国でした。
造船業といえば、日本のお家芸といわれたほどです。
今でこそ、韓国・中国にNO.1とNO.2を渡してしまいましたが、まだまだその技術は健在です。
そこで今回は、造船の歴史をおいつつ、日本の造船の過去と未来に焦点を充ててみていきましょう。
参考にさせていただいたページ:
得られるもの① 日本の造船の歴史
② 世界経済の移り変わり
船舶の歴史。昔の日本の造船技術
まずは日本の造船における歴史を見てみます。
1. 江戸時代末期 ⇒ 近代的な造船所が作られ始める
2. 明治時代 ⇒ イギリスから技術を学ぶ
3. 第二次世界大戦 ⇒ 壊滅的なダメージを負う
4. 戦後の復興 ⇒ 1956年に世界一の造船国になる
5. 1990年代 ⇒ 需要の増加とともに成長し、日韓2強時代が訪れる
6. 2000年以降 ⇒ 中国の急成長により日本は世界3位に落ちる
1. 江戸時代末期 ⇒ 近代的な造船所が作られ始める
造船の歴史は、江戸時代まで遡ります。
江戸幕府始まってすぐの1609年(慶長14)、幕府は軍船・商船を問わず西国大名の500石以上の船を没収しました。
そのころから少し経つと『大船建造禁止令』が発令され、500石(排水量100トン)以上の大きな船の製造が禁止されてしまいました。
しばらくの間この法令は続きますが、終わりがようやくやってきます。ペリー来航により、鎖国解禁とともにようやく大船建造禁止令が撤廃されたのです。
その後、近代化の波とともに造船所建設は進み、日本の造船の歴史が再スタートしました。
2. 明治時代 ⇒ イギリスから技術を学ぶ
1853年のペリー来航以来、幕府はさっそく造船に取り掛かり、翌年には日本初の洋式軍艦『鳳凰丸』を建造してしまいます。
その後も造船所の建設は続き、本格的な軍船の建造が進みますが、造船技術が未熟で欧米から船を買うことも珍しくありませんでした。
明治天皇の御召船も例外にもれず、イギリスの船を買い使用されていたくらいです。
しかし時代が進むにつれて、当時造船技術トップだったイギリスなどから技術を学び、1900年に入って少し経った頃には日本の技術も世界に追いつきました。
3. 第二次世界大戦 ⇒ 壊滅的なダメージを負う
日本は昭和に入っても、腕に磨きをかけ続けていました。
特に第二次世界大戦が始まってからは、『戦時標準船』という国によって規格化された船を大量に生産したこともあり、生産は大幅に増加していきます。
しかしそれもひと時・・・終戦後は、他の業界と同様に大きく売り上げが落ち込むこととなりました。
戦争に負けたことにより、船舶や造船設備は戦後賠償の対象となり、建造も許可が必要など制限がかけられた厳しい状況におかれました。
さらに海軍の解体により軍需が消滅したため、輸出に活路を見いださざるを得なくなりますが、技術が十分でなかったために価格や工期の面で世界を相手にすることは困難と言われていました。
その時の生産量は1/4程度に落ち込んでいます。
4. 戦後の復興 ⇒ 1956年に日本は世界一の造船国に
それでも、関係者による生産復活への努力は続きました。
建造に関する制限については、偶然にもアメリカとソ連の対立が始まったこともあり、日本の経済的自立・賠償の軽減がうたわれるなどし、制限は撤廃されていきました。
技術面でも、産学官共同の技術研究、溶接技術の発展、ブロック工法の活用などが行われました。
こうした結果、海外受注が増加したことや、政府による輸送力増強のための計画造船などの後押しなどもあり、経済白書で「もはや戦後ではない」と言われた昭和30年の鋼船生産は、戦前のほぼ倍の水準まで戻るまでに回復しています。
そして来たる1956年。日本の努力の甲斐があり、それまで造船業界をけん引してきたイギリスを抜き『建造量世界一』の称号を手に入れます。
5. 1990年代 ⇒ 需要の増加とともに成長し、日韓2強時代に
終戦後、朝鮮戦争が終結すると、一気に日本の造船業界の成長していきます。
世界中から注文が殺到するようになったのです。
途中2度のオイルショックを経験しますが、1990年代に入ると、ロボットなどの技術が発展し日本の技術にもさらに磨きがかかります。
造船ブームも後押しして、バブル崩壊をものともせず、造船量は増加の一歩をたどります。
しかしそんな中、1970年以降確実に力をつけてきた韓国が追い上げを見せます。
ついには、造船大国と呼ばれていた日本と肩を並べるまでに韓国は成長し、日韓2強時代へと変化していきました。
6.2000年以降 ⇒ 中国の急成長により日本は世界3位に落ちる
1990年代には、もう1つ違う国が違う国が力をつけ始めていました。
その国こそ『中国』です。
みるみるうちに力をつけていき、日本を追い越し、2010年頃には韓国と肩を並べるまでに成長したのです。
そして現在というと・・・価格面等で中国・韓国と勝負できず、ここ数年の造船量は『世界第3位』という位置に落ち着いています。
日本の造船技術はなぜ発達したのか?
戦後、特に朝鮮戦争以降は、追い風に乗り急激に業績が伸びていった日本の造船業。
なぜ世界の中で、日本がこれほど伸びていくことができたのでしょうか?
それには3つほど理由があります。
1. 海外の造船所と比べて暇で、納期が短かった
2. 船価が割安であった
3. 1954年過ぎから海運業全体の景気が回復し始めた
これらの要因がうまく組み合わさりました。
第二次世界大戦が終わり、日本の造船業はかつてないほど落ち込みました。
それこそ、国内の仕事といえば小型船舶・漁船を造ることくらいしかできませんでした。
また、戦後の不景気も重なり、なかなか活路を見出せません。
時が経ち、ようやく不景気が終わりを迎えたころ。世界では、また、船を造る動きが活発になってきました。
しかし、どこの国の造船所も手いっぱいのところが多かったのです。
そんな中、日本はかなり暇をしていました。
船を造るにも、日本は割安で請け負ってくれることが多かったのです。
このような条件が重なり、日本に世界中の注文が殺到したというわけです。
途中2度のオイルショックを経験しましたが、日本の造船業はそれでも伸び続け、『造船業は日本のお家芸』といわれるまで成長したのです。
なぜ、日本の造船は衰退したのか?
一時期は『日本の造船業に敵なし!』というところまでいったのですが、現実は甘くありません。
日本がイギリスを抜いて世界一になったように、韓国・中国が日本を追い抜いていきました。
その大きな理由は受注価格にあります。
日本勢が国の指導で設備を縮小するなか、韓国側は90年代後半から大々的に設備を拡張し、安値受注で日本勢を駆逐し一気に市場を奪っていきました。
採算は度外視です。採算の合わない安値での船舶受注を繰り返し、経営難に陥った造船所に対しては、公的金融機関の韓国産業銀行が大規模な金融支援を実施すという徹底ぶりです。
中国も同様に、国柄を生かし安価で仕事を請け負っていきます。
その結果、造船の花形であり1隻当たりの船価が200億円程度と高く技術的にも難しい液化天然ガス(LNG)運搬船は、かつて日本勢の十八番でしたが、2016年以降は1隻も受注していません。
日本勢が成長の柱に掲げる単価の高い液化天然ガス(LNG)運搬船は、2019年年始の受注残は現代重工と大宇海洋の韓国2TOPで世界の約6割のシェアを誇っている状態です。
中国も負けじと日本のシェアをどんどん奪っています。
しかし、一方で日本も黙っていません。
近年、日本の造船業の再構築が進んでおり、肥大化した造船業のM&Aが進み、巻き返しが期待されています。
しかし、リーマンショックの影響やコロナウイルスの影響を受けており、シェア奪還には時間がかかりそうです。
まとめ
今回のまとめに入ります。
・日本はかつてイギリスを抜かして造船業で世界一となった
・韓国と中国の成長が目覚ましく日本は世界3位の位置にいる
・日本の造船業のM&Aが進んでいる
日本はかつて、世界1位のイギリスを抜き去り、それ以来30年以上世界をけん引してきました。
造船業といえば、日本とだれもが言っていたものです。
しかし時代は進み、安価で受注していく中国・韓国には勝てなくなりました。
シェアがどんどん奪われていき、日本のシェア率は10%を切るまでに落ち込んでいます。
とは言っても、日本も黙って指をくわえているだけではありません。
M&Aを駆使して、業界の再構築を行っています。こうした努力の結果、日本の造船業の中には世界のTOP5に入る企業もあります。
値段で勝てないのなら、力を合わせて技術で勝ちに行く。
これこそ日本の力!これからの業界の動向も気になるところです。
ではでは今回はこのあたりであでゆ($・・)/~~~