今の車って便利だよね。
そうだね。技術の進歩はすごい。
でもなんでトヨタは、あそこまで有名になったの?
あーそれは、○○だからだよ。
日本が得意な業界と言って、切り離せないのが『車業界』ですよね。
最近では、自動運転や追突防止機能など便利な機能がいろいろと追加されるようになりました。
日本の自動車は世界からも称賛され、トヨタの活躍は目を見張ります。
でもなぜ、こんなにも業績を伸ばすことができたのか?その理由を、歴史とともに追ってみます。
② 自動車業界の今後
車の歴史。なぜ、トヨタは業績を伸すことができたのか?
日本の自動車業界が有名に、そしてトヨタの業績があそこまで伸びたのには理由があります。
です。でもなぜここまで技術力がついたり、ニーズに合わせて車を造れたのか?
それにはまず、日本の自動車の歴史を知っておく必要があります。
まずは軽く、日本の車の歴史に触れてみましょう。
1907年 ⇒ 純国産のガソリン車が誕生する
1914年 ⇒ 日本初の乗用車が誕生する
1925年 ⇒ 自動車生産を開始する
1936年 ⇒ 日本初の量産車が誕生
1939年 ⇒ 太平洋戦争で生産が困難に
1949年 ⇒ 自動車生産制限の全面解除
1898年 ⇒ 初めて自動車が輸入される
日本に自動車が来たのは1898年のことです。
世界で初めて自動車エンジンを創った『ダイムラー』から、委託製造を受けていたフランスの『パナール社』を通して、自動車が輸入されました。
その後、後発ながら日本でも自動車製造の試みが始まります。
そして1904年、日本で初の国産車が完成します。
1907年 ⇒ 純国産のガソリン車が誕生する
初の国産車は蒸気で動く方式がとりましたが、相次ぐトラブルで多くの人を乗せて走ることはかないませんでした。
3年後にはガソリンエンジンを積んだ自動車が登場します。
これは、当時の有栖川宮威仁親王殿下が要請し、試しに10台ほどのガソリン車自動車を作らせたことで誕生したものです。
これを機に日本は国産の自動車を作ろうとしますが、当時の技術はまだまだ乏しく、国産化にはほど遠い感じでした。
1914年 ⇒ 日本初の乗用車が誕生する
それから数年がたった1911年。『快進社自動車工場』が設立され、その3年後の1914年にようやく国産乗用車の第1号「ダット」を完成させました。
さらに1925年には、白楊社が自動車生産を開始し、『オートモ号』という車を230台製造しました。
この2社は10数年後、今の日本を支える『とある企業』へと形をかえていくのです・・・
1936年 ⇒ 日本初の量産車が誕生する
1920年代後半の日本は、欧米との力の差は歴然であり技術的にも劣っていました。
さらにそこに、追い打ちをかけられます。
『GM』と『フォード』が日本市場に進出してきて、ノックダウン生産を始めてしまったのです。
ここでいう製造国とはアメリカのこと。部品をアメリカで作ってしまい、日本へ輸出し現地で組み立てます。
これによって日本の市場には一気に輸入車であふれてしまい、快進社、白楊社ともに解散してしまいます。
1939年 ⇒ 太平洋戦争で生産が困難に
1930年代に入ると、1932年に日産自動車の前身となる『ダットサン商会』が、1933年にはトヨタ自動車の前身となる『豊田自動織機製作所自動車部』が設立されます。
なんと、この時の設立メンバーに、快進社と白楊社のメンバーがいました。
白楊社 ⇒ 主要メンバーが豊田自動織機製作所自動車部に入社する
ここに、今の日本の車業界を支える『日産』と『トヨタ』が爆誕します。
とは言っても、時代は太平洋戦争間近。
トヨダAA型やダットサン14型などの今でも語り継がれる名車が登場しますが、太平洋戦争に向け、すぐ軍需用のトラックの製造が開始され、乗用車の開発は中断を余儀なくされることとなりました。
ちなみに・・・
1949年 ⇒ 自動車生産制限の解除
太平洋戦争が終わった1945年。日本の再スタートは0からではなくマイナスからでした。
当時の日本は敗戦国であり、アメリカのGHQに乗用車の製造禁止を言い渡されてしまいます。
さらには政府のインフレ抑制策として、通貨供給量が減らされ、日本の産業界はどこも深刻な経営難に直面していました。
あのトヨタでさえ経営危機に陥り、銀行からのてこ入れで生き残っていたほどです。
そんな日本暗黒時代、自動車生産の全面解除を言われたのは数年が経った1949年のことです。
そこからようやく、日本の自動車業界は再スタートを切ります。
独自路線を行くトヨタ自動車
ここからようやく、トヨタの話に入ります。
自動車の生産解除後の日本は、まずは欧米との力の差を埋めるべく、海外車両のノックダウン生産を行うことで技術を吸収していきました。
しかし、トヨタだけは違ったのです。自動車メーカ各社がノックダウン方式で技術を磨く中、トヨタだけは国産にこだわり続けました。
その理由としては、
からです。
トヨタ自動車の創始者の豊田喜一郎氏や父の佐吉氏は、自助努力つまり、自力で乗り越える力を身に着ける<こと/span>を後世に伝え続けており、それは社員にも深く根付いていました。
当時の石田社長も、参議院運輸委員会の呼び出しに対して、
という言葉を残しているくらいです。
『自分たちの力で道を切り開く!!』
初めは劣勢にあったトヨタですが、その後は『かんばん方式』、『自働化』などのTPS(トヨタ生産方式)や、からくり技術などを発展させて、グローバル企業として活躍するようになりました。
なぜ、トヨタは世界でも有数のメーカーになれたのか?
しかしここにきて、なぜ日産でもなくホンダでもなく、トヨタが世界で有数の自動車メーカになれたのか?という疑問は残ります。
もちろん日産やホンダだけでなく、日本車は例外なく海外でとても人気があるのにです。
その理由としてあるのは・・・
ということです。
トヨタはその地域にあった仕様の車を現地で作り続けることにこだわり続けました。
例えば、砂漠でも耐える車と、極寒のアラスカで使える車だと仕様が同じということはありえません。
もちろん革新的な『トヨタ生産方式』も業績が伸びた理由の一つではありますが、『現地現物』実際に問題を自分の目で見て肌で感じて実際の現場に足を運んで問題解決する。
その部分がトヨタを世界的メーカーに育てた大きな原因です。
今後の車業界について
先ほどはトヨタを例に挙げましたが、トヨタ以外の日本メーカーも世界に誇る技術力を持ち合わせています。
それでも、日本国内向けにはかなり厳しい状態が続いています。
それには理由があり、
・国内の車の性能があがり買い替えの必要性が少なくなった
これらがあります。
車関連のコストがかかりすぎる
一つ目の理由として、車関連のコストがかかりすぎることです。
昔は250万も出せば、ある程度の性能の車が購入できていましたが、今は300万以上、400万オーバーはざらです。
車自体の性能が上がっていることや燃料費の高騰などがあるので、一概に昔と比べられませんが、それでも新車価格のインフレは続いています。
車の性能があがり買い替えの必要が少なくなった
2つ目として、車の性能が上がっていることもあります。
技術の進歩で、昔ほど車が壊れなくなったことや必要十分な性能が手に入るようになったので、壊れない限り車を買い変える必要がなくなりました。
海外でも『日本車の壊れにくさは異常』と呼ばれているほどです。
車は10万キロとよばれていた時代は過去のものとなりました・・・
世界的に今後はM&Aが進む
この車が売れない現状は、世界的にも広まりつつあります。
発展途上国向けに今は車の輸出が伸びていますが、先進国ではすでに頭打ちがきており、発展途上国もいずれ限界が来ます。
そうなるとすべての車会社が生き残るのは相当厳しいです。なので、M&Aが進んでいます。
最近だと、ルノー・日産・三菱重工が提携を結んで動いています。
トヨタとスバルが共同で車を造ったり、トヨタとBMWが共同で車を造ったりしています。
そのほかにもフォードとフォルクスワーゲンが提携を結ぶなど、かつてはライバル同士だったメーカーたちが、手を取り合って業界を動かしていくそんな時代が進んでいきます。
まとめ
今回のまとめです。
・トヨタが成長したのは地域に根差したメーカーだったから
・今後の車業界はM&Aが進む
車の歴史は日本においてとても深く、ハッキリいって、この記事内だけですべて表すことができません。
ここに紹介したのも一部です。しかしこれだけは覚えておいてほしいです。
それは、自動車が初めて日本に来てから、相当の努力と失敗があったということです。
あのトヨタでさえ、一度は経営危機に陥っています。
でもそこであきらめなかった。何としても『国産の車を作りたい!』という気持ちと『逆境にも負けない努力と工夫』があったからこそ、今の日本の車業界はあります。
今後は世界はEVや自動運転などさらに変わっていくでしょう。
これからの車業界も目が離せません。
では今回はこのあたりで、あでゆ($・・)/~~~